2003年

ーーー12/2ーーー 自作のケーナ
 
 先週ケーナのことに触れたので、ついでに自作のケーナについてご紹介しよう。

 ケーナの演奏家は、自分でケーナを作ることが多いという。先週述べたケーナは、ペルー生まれのシンティという人の作だが、シンティ氏もケーナの名演奏家だそうである。国内でもケーナ作りを趣味とする人たちがいる。ケーナを自作するためのガイドブックは市販されているし、インターネットで見ることもできる。材料となる竹や木の筒も販売されていて、簡単な道具さえ準備すれば、誰でもケーナを作ることができる。

 私は木工家なので、工房にあった材木を使って、筒作りから自分でやってみた。ケーナを木で作る場合、材はなるべく硬い方が良いとされている。ただし、硬くてもナラのような環孔材(導管が年輪に沿って配置されている材)は使えない。環孔材は導管が太く、そこから息が漏れてしまうからである。その条件で材を選定すると、カバ材ということになった。これが私が持っている材の中で一番硬いものである。

 写真は出来上がったケーナである。管の下端は内側にひと回り小さい筒をはめ込んで、厚みを増してある。こうすることで高音が出易くなるそうだ。竹製のケーナの場合は、ここが節になるように作る。

 出来上がったケーナを吹いてみたが、あまり良い出来ではなかった。演奏に使える代物ではない。材の硬さが足りないせいか、間の抜けた音がする。カバの比重は0.65程度である。シンティ作のケーナの材は、計ってみたところ比重は1に近かった。この差が音に現れるようだ。ちなみに竹は軽い材だが、表面の薄い層の硬さはコクタン並みだそうである。

 音色もさることながら、音程が悪い。また音が出にくい。これは製作技術のせいであろう。ケーナ作りの名人は、いろいろなところで工夫をするそうだが、それを知らない私では仕方ない。これも経験を要することなのだろう。

 楽器を自分で作り、それを演奏するというのは、一つの大きな楽しみに違い無い。そういうことを教育プログラムにして実践している小・中学校などもあるそうだ。しかし、出来上がった楽器をどのような目的に使うかということで、状況は変わる。演奏に使える「ちゃんとした楽器」でなければ、私にとって意味がない。そんなわけで、自作ケーナの第一号は、作り上げた喜びもじきに失望へと変わってしまったのである。



ーーー12/9ーーー ギルド展直前
 
 
 いよいよ今年もギルド展の季節がやってきた。今週の金曜日(12日)にスタートして、6日間の日程である。詳しいことはギルドのホームページ http://www5f.biglobe.ne.jp/~k-guild/ をご覧いただきたい。

 今年で3回目である。初回の一昨年は、来場者も多く、なかなかの盛況であった。ところが昨年は、旅行客の入り込みを当て込んで観光シーズンに日程を組んだことが裏目に出た。来場者は一昨年の6割程度に落ち込んだ。今年は満を持しての3回目である。3度目の正直となるか、期待と不安が入り混じる。

 初めの頃は手探りでなかなか要領が掴めなかったが、3回目ともなると少しは板に付いてきた。マスコミ関係の反応も良くなってきた。以前は音沙汰無かったところからも、イベント案内への掲載の申し入れが舞い込んだ。ポスターも、パソコンのプリンターを駆使して製作し、最寄りの駅などに掲示した。案内状を手渡すと「もう知っているよ。楽しみだね」と言葉を返してくれる人もいる。少しずつ知名度が上がってきている感触である。

 売り上げだけを目的に行なうイベントではない。手作り木工家具というものを世の中の人に理解してもらうこと、その宣伝的意味あいも大切だと考えている。しかし、やはり仕事でやっている以上、具体的な成果が無ければ、続けていくのは難しくなる。

「がんばってくれよ」と、一つひとつの作品に声をかけたくなる心境である。



ーーー12/16ーーー ギルド展風景

 ギルド展(安曇野穂高家具ギルド 木工作家冬の5人展)が開幕した。写真は展示会場内の私のコーナーである。このコーナーは展示室の南西の角にあたり、過去2回のギルド展では、このコーナーに於ける売り上げが突出していた。そのため、ラッキー・コーナーと呼ばれている。今年は私に順番が回ってきた。


 それはさておき、写真に登場している作品を紹介しよう。


 一番右の椅子は、定番となっているアームチェア。10年前の発売開始以来、80脚ほど売れているヒット商品。材はクルミ。座面はペーパーコード編み。価格95,000円。

 その左の壁際は、Catと名が付いているアームチェア。一昨年のギルド展でデビューした。そのときある人が「まるで猫みたい!」と言ったのがきっかけでこの名前が付いた。既に10数脚を販売し、大竹工房の主力商品となりつつある。材はナラ。座面はペーパーコード編み。価格135,000円。

 その左は「引き出したんす」。1991年に大竹工房の第一号製品として出荷したものと全く同じ品物である。実はその時に注文を下さった方からの依頼で、今回再び製作することとなった。納品前にちょっとお借りして、展示させていただいた。大型の箱もの家具は、このようなチャンスがないと展示会に並べることは難しい。快く了解して下さったお客様に感謝である。材はマカバ。価格250,000円。

 たんすの手前の、赤い本が乗っているのが、「両面使いの腰高移動式本棚」。知り合いの詩人のアドバイスを元に製作したものである。こういうものがあればとても便利なのだが、市販品には良い品物が無いとのことであった。写真で見えている側は、奥行きを小さくしてあるので、小型の本しか入らない。そのために、高さ方向に余裕ができる。それを有効利用する目的で、棚板の代わりに引き出しを仕込んである。先ほどの「引き出したんす」と同様に、本体の構造は「組手」という伝統的に技法を用いている。材はクリ。価格195,000円。

 本棚の左、ヨットの写真集が乗っているのが、「回転式書見台」。これも詩人のアイデアで、文芸作家の方々はこのような道具が必需品とのこと。片側に国語辞典、反対側に英和辞典などを乗せ、調べ物をする際にクルクル回して使えば具合が良い。一般の人でも、これは色々な使い道がありそう。材はクリ。価格85,000円。

 書見台の陰になっているのが、アームチェアCatの板座版。残念ながら全体は見えないが、要するにCatを編み座でなく、無垢板の座面で作ったもの。椅子全体が同一の素材で作られているところが、木工芸品的な魅力となっている。これは昨年のギルド展で発表された作品。材はナラ。価格164,000円。

 板座Catの隣り、壁際にある赤い座面の椅子が、今回のギルド展でデビューの「クッションCat」。この赤い座はレザー(合成皮革)だが、最高級の品質で、本革よりもむしろ性能が良いという代物。レザーにもいろいろな品質と色、柄があり、お客様の好みで選ぶことができる。材はナラ。価格154,000円。

 最後に、書見台に向かい合っている椅子が、同じく「クッションCat」の布張り版。レザーとはまた違った雰囲気となっている。こちらも色、柄などを、数多くのバリエーションの中から選ぶことができる。材はナラ。価格154,000円。

 さて、作品は以上だが、壁に掛かっているパネルは、左端のものが「クッションCat」の座面のレザーを変えた場合の見本写真。まん中が私のプロフィール。右端が工房における木工作業のスナップとなっている。

 会場の雰囲気を感じて頂けただろうか。



ーーー12/23ーーー ギルド展結末

 グループ展(ギルド展)が終了した。来場者の数はおそらく昨年を上回っただろう。盛り上がりも、そこそこのものだったと思う。しかし、売り上げの面では、極めて残念な結果となった。

 品物がたくさん売れて、ニコニコしている状況なら、他人から何を言われても、意に介す必要は無いかも知れない。しかし、このような状況だと、部外者の批判が厳しく耳に響く。「展示品のレベルが揃っていない」、「展示品の性格がばらばら」、「価格のばらつきが大きくて違和感がある」など、厳しい意見が来場者から聞かれた。このような批判を謙虚に受け止め、自己改善の原動力とするならば、展示会の意義も、ある意味では存在するだろう。しかし、当事者の受け止め方は各人様々である。これまでの経緯が、それを物語っている。

 展示のやり方に関しても、事前にいろいろ議論があった。品物を見せるだけで勝負をするべきだとの意見もあれば、製作のプロセスなどを紹介して、観客に仕事の全容を理解してもらうべきだとの意見もあった。また、木工文化の伝導を主眼にすべきであり、販売行為などのビジネスは二の次にすべきだという意見もあった。それに対しては、趣味や道楽ではないのだから、作品が売れなければ意味がないという、切実な反論があった。そういう様々な意見の食い違いを、言わばうやむやにして進んで来た感はある。意見の対立が、ごく簡単に組織の分裂に発展する場合がある。そういうことを恐れて、お互いに気を使うあまり、進むべき道を見極める厳しさが足り無かったような気もする。

 相手のあることだから、やってみなければ分からない。難しいことを考えなくても、お客様がすんなりと品物を購入してくれることもあるかも知れない。そんな楽観的な姿勢があったと思う。結果オーライで済ますことができれば、それはハッピーなことである。しかし、一回や二回ならまだしも、三回やっても成果が無いとなれば、これは真剣に考えざるをえない。素人のサークルの発表会ではないのだから、売れない展示会で済ましてよいはずはない。

 展示会が終了してからの数日間、私なりにどのようにしたら良いのか思案を巡らした。改善のアイデアをメモしたみたら、20数件にのぼった。5人なら何件になるだろう。それらをぶつけ合って、新しい方向が見つかるかどうか。それとも結局今までどおりになってしまうのか。一人ひとりの力量と熱意と忍耐が、試される時が来たと思う。

 展示会の様子は、ギルドのホームページ (http://www5f.biglobe.ne.jp/~k-guild/) にスナップが掲載されている。ギルドのホームページを改めて眺めたら、その製作を含め、今回の展示会に向けて、事前に様々な努力をしたことが思い起こされた。挫折感が、また込み上げてきた。



ーーー12/30ーーー 年末に寄す

 
今年も残すところ1日となった。長いようで短く、退屈そうで変化があり、無意味そうで実りある、そんな漠然とした印象の1年であった。しかしそれも、明日でThe Endとなる。

 このホームページを開設できたのが、一つの大きな成果であった。ビジネス展開の新機軸という意味だけではない。私には特別の思い入れがある。

 私はもともと、表現をするのが好きであった。私にとっては、木工作業で作品を作るのも、文章を書くのも、ケーナを演奏するのも、同じく表現行為として意識される。他者の心に何か訴えかけるものを発したい。それが私の基本姿勢である。

 長野五輪が終わった直後、私は「長野オリンピックの光と陰」と題するレポートを書いた。オリンピック・ポランティアの体験をもとに、その内幕を暴き、その上で社会に於けるボランティア活動のあり方を問うたものである。A4で15枚ほどのボリュームにのぼった。これを数名の友人に郵送した。そのうちの一人が、「もっと多くの人の眼に触れさせなければもったいない」と言った。しかし、季節の挨拶状を送るようなわけには行かなかったのである。大勢に送るとなれば、コピー代も郵送代も、バカにならない。しかも、誰に送ったら良いかと思案すれば、なかなか行き先はまとまらない。

 3年前に知り合いのA氏の絶大なるお力添えのおかげで、それまで全く無関心だったパソコンに手を付けるようになった。A氏は、新品のパソコン(Mac G4 Cube)を、ソフトとプリンター付きで、私に無期限で貸してくれたのである。「大竹さんは頑固だから、こうでもしないとパソコンやらないでしょう」と。

 パソコンの世界に足を入れたことで、私には「これだ!」と感じたものがあった。それは、瞬時にして世界中の人々に情報を発信できるインターネットの有り難さである。

 当初はEメールだけで満足していた。これでも十分過ぎるくらい便利だと感じた。何十人もの人に、膨大な量のメッセージを送っても、タダである。お金のことばかり言うように聞こえるかも知れないが、これは本質的に切実なことである。

 しかし、メールでは知った人にしか送れない。欲望は次第にホームページへと膨らんでいった。実現したい気持ちは強かったが、それでも長い間、ホームページを作ることなど、大それたことのように感じていた。それが、京都のK氏のご親切がきっかけとなり、ついに自分のホームページを立ち上げるに至ったのである。それが今年の四月のことであった。

 このホームページを読んだ人は、「この作者はいったい何者だろう」と感じるかも知れない。文章ばかり書いていて、本当に木工をやっているのかと、怪しく思うかも知れない。しかし、私にとっては、メッセージを発することは、木工家具を作ることと同じくらい大切なのである。違いは、それが収入に繋がっているか否かでしかない。

 「木と木工のお話」も、連載を重ねてだいぶ充実してきた。これはもともと、原稿が用意してあったものである。木と木工に関する書物を出すという永年の夢に向けて、少しづつ書きためたものである。それを、ホームページ用に手直しをして掲載しているわけである。こればかり書いていて、本業をおろそかにしているわけではない。

 「週刊マルタケ」は、私にとってある種のレクリェーションである。たった一人で工房にこもり、木ほこりにまみれて作業をするのが日常の私にとって、身の回りの出来事や折々に感じたことを、短文にまとめて発表するというのは、お金のかからない手頃な気分転換なのである。「次回は何を書こう」と思いをめぐらす時、ささやかだけれど楽しい気持ちにひたることができる。

 さて、以上述べた情報発信活動のモチベーションは、このホームページを読んでくれている人が存在しているはずだという、ひとりよがりの思い込みによって支えられている。実際には、定期的に感想をメールで送ってくれるのは、名古屋で大学生をやっている長女しかいない。外に全く反応が無いというのも、寂しいことではある。しかし、少なくとも誰も怒らせてはいないし、不愉快にもさせてはいないのだろう。それをもって良しとしたい。

 それでは、今年はこの辺で。来年もよろしくお願いします。よいお年をお迎え下さい。



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